久々に「イエス・キリスト教会」に行ってみました。
ダーレム地区にこの教会は、1950年代からベルリンフィルをはじめとするDGGの録音会場として使用され、1970年まで使用されていました。(今でも時々使われています。
以下は、20年以上前のステレオサウンドの当店の広告ページに書いた文章です。
(当店初の広告!2002年の秋号です)
LP GUIDE FOR AUDIOPHILE
(オーディオファイルのためのLPガイド)
LPのふるさと(DG編)
この5月、ベルリン滞在中に思い立って、ダーレム地区にある「ベルリン・イエス・キリスト教会」を訪れた。
ベルリンには何回も足を運びながらも立ち寄ることもせず、永年の念願であった場所である。ドイツ・グラモフォン(DG)の名盤を生んだ「聖地」として、私にとって頭の奥深く刻まれて既に四半世紀が経った。
さらにさかのぼること四半世紀、1945年5月8日、敗戦を迎えたドイツは音楽に対する思い熱く、翌46年にはすでにDGはレコードの生産を再開した。しかし、戦後の混乱中で、DGのスタッフたちは多くの問題に直面することになる。まず、原材料や燃料の不足、そして、最も大きな課題は「録音スタジオが無い!」ということであった。
当時より、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPH)のかつてのコンサートやレコーディングのホームグラウンドであった、旧フィルハーモニーホールが、44年冬の空襲であとかたも無く燃え尽きてしまったからからだ。その代用として、コンサートには映画館が使われたが、録音には全く不向きであった。困り果てた当時のDG専属のレコーディングエンジニアであったハインリヒ・カイルホルツは、瓦礫の山と化したベルリン市内を探しまくり、やっと見つけたのが、ダーレム地区にある「イエス・キリスト教会」だったのだ。その瞬間より、DGのBPHとのLPの黄金時代の幕が開くこととなる。
1951年、若くしてこの世を去った天才指揮者フリッチャイとBPHとのメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を第一号としていよいよLPの生産がはじまった。その後、フリッチャイ、ベーム、そしてヨッフムなどの名指揮者達がここで数多くの録音をのこしてゆくが、やはり、BPHのレコーディングで絶対に忘れていけないのがフルトヴェングラー、そしてフォン・カラヤンだろう。
フルトヴェングラーとBPHとの顔合わせのLP・CDは数多く出回っているが、そのほとんどは、1930年代以前のSP録音の復刻、または、彼の死後出された悪条件の中で収録されたライブ録音で、オーディオファイルには物足りない。ここ、イエス・キリスト教会でのセッション・・・それもわずかであるが・・・が、彼がOKを出した、真のフルトヴェングラー・BPHのサウンドといっても過言ではない。
残されたものは、シューベルト、シューマン、そしてフルトヴェングラー自作の交響曲などであるが、これらは、この曲のベストベストパフォーマンスであるとともに人類の永遠の遺産、と言っても良いだろう。例えば、シューマンの第四交響曲冒頭のずしんと来る分厚い響き、そして、序奏から第一楽章主部に突入するさまは、何度耳にしても手に汗握る瞬間だ。また、モノラルとは言え、録音も素晴らしく、状態の良いLPと調整の行き届いたアナログプレーヤーで体験するこれらの名盤は、彼の息づかいまで感じられ(本当に聞こえる)、一度聞いたら病み付きになってしまう。
この教会を見つけたカイルホルツは、コンサートリアリズムの信仰者で、周波数レンジを欲張るよりも中音域のエネルギー感、つまり音の「実在感」大切にしていた。それが今のDGサウンドのルーツであるが、そのポリシーと最もマッチしたのが、数え切れないフォン・カラヤンとBPHの録音と言える。
SP時代にごく僅かの録音をDGに残した彼は、その後しばらく、DGとは距離をおいていた。しかし、BPH終身音楽監督就任5年目の1959年に古巣にカムバックすることとなる。その第一号がリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」だ。それを皮切りに、ベートーヴェン、ブラームスの全集を初めとする主要な交響曲、協奏曲、管弦楽名曲集などの名盤をそれこそ文字通り「量産」してゆくこととなる。
録音技術面でも、カイルホルツ生み出したDGサウンドの基礎を、プロデューサーのオットー・ゲルデス、エンジニアのギュンターへルマンスの黄金コンビが発展させてゆくこととなるのだ。
例えば、60年代に録音されたブラームスとベーとヴェンの交響曲でのあの厚みとこくのある低音域から中音域はDGならではのものである。それも、CDよりもLPのほうが濃厚に感じられる。(なお、これらカラヤンのLPのほとんどは、大ベストセラーとなったため、今でも市場に安価で多量に出回っている。手軽に入手可能であるので、ぜひ、オーディオファイルの方々は、その再生にチャレンジして欲しい。)私自身、彼らのベストサウンドLPとしては、1973年のリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトストラはかく語りき」を挙げたい。押し流されるような音の洪水に垣間見せる管楽器やソロ・ヴァイオリンの微妙な表情の変化がこたえられない。
一方、ドイツ・エレクトローラ(EMI)も60年代後半より、同じイエス・キリスト教会で、同コンビのセッションを始める。モーツアルト、チャイコフスキーのシンフォニーベートーヴェン、ブラームスのミサ曲などだ。
ここでのDGとEMI両レーベルのサウンドポリシーの比較もとても楽しい。
DGに比べ、EMIは音場感にウエイトを置いているようで、ディティールよりも、聴く者を包み込むような音場の拡がりを大切にしたトーン・キャラクターはDGとはまた違った快感だ。もちろん、CDでもこれは比較可能であるが、カッティングやプレスのノウハウ、そして原材料までトータルのキャラクターを比較しての楽しさとなると、LPの方に軍配が上がる。
1961年、ベルリン市民念願の新フィルハーモニーホールが完成する。しかし、その後もしばらくイエス・キリスト教会はBPHの録音に使われ、いまでもしばしばBPHをはじめ他のオーケストラの録音にも使用されている。それだけ、この教会のアコースティックは録音向けなのだろう。我々は、カイルホルツに感謝しなければいけない。
イエス・キリスト教会を訪れたのは、ゴールデン・ウイークも終わって、日本からの音楽ファンも市内にほとんど見かけなくなってしまった小雨の日曜だった。そのベルリンで、顔も姿も知らぬまま文通していた心の通い合った友にやっとめぐり合えたかのように温かななつかしさに包まれたのだった。