「エテルナ」レーベルについての考察(3) 名盤選1 コンヴィチュニーの「英雄」

「エテルナ」レーベルについての考察(3) 名盤選1 コンヴィチュニーの「英雄」

コンヴィチュニーの「英雄」
 

フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901–1962)は、戦後東ドイツの音楽文化を象徴する指揮者のひとりである。モラヴィアに生まれ、若くしてヴァイオリンとヴィオラを修めた彼は、最初から指揮者を志したわけではなかった。

オーケストラの内部で弦楽奏者としての経験を積み、やがて自然に棒を握るようになった経歴を持つ。その現場感覚と実務的な音楽性は、生涯を通じて彼の演奏解釈を特徴づける要素となった。戦後は東ドイツの音楽界に活動の場を定め、ワイマール国立劇場を経てライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者として名声を確立。重厚で揺るぎない音楽を繰り広げ、東独の国営レーベル「ETERNA」に膨大な録音を残した。

コンヴィチュニーの演奏は、しばしば「骨太」「重厚」と評される。過度にロマン化した感情表現を抑え、スコアを正面から見据える造形感覚を徹底した彼の指揮は、当時の西側の流行とは一線を画すものだった。揺るぎないテンポ感と直截的な音楽の進行は、華やかさよりもむしろ剛毅さを強調し、ある種の無骨さすら感じさせる。しかしその背後には、ドイツ音楽の伝統を純粋に継承しようとする姿勢があり、聴き手にとっては奇を衒わない誠実さとして響いてくる。彼の名が「フルトヴェングラーの後を継ぐ存在」と呼ばれたのも、決して大げさな評価ではない。

このたび紹介するETERNA盤『ベートーヴェン/交響曲第3番《英雄》』(1960年録音)は、コンヴィチュニーの真骨頂を刻印した名盤である。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を率いての演奏は、冒頭の和音からただならぬ緊張を湛え、聴く者を一気に音楽の核心へと引き込む。テンポは急がず、しかし迷いなく推進する。序奏から第1楽章へ至る流れは、装飾的な揺らぎを排し、作品の骨格をあぶり出すような造形美を示している。

第2楽章「葬送行進曲」では、ETERNA録音特有の明晰な残響が生きる。弱奏でも木管や弦の細やかな表情がくっきりと浮かび上がり、静謐さのなかに緊張感を漂わせる。中間部の激烈な展開から再び葬送主題に戻る際の落差は、劇的でありながらも決して感傷的に流れず、構築性を保ち続けるところにコンヴィチュニーの手腕がある。

第3楽章スケルツォは、全体を一体化させる推進力が鮮烈だ。木管の刻み、弦のうねり、金管の鋭い響きが渾然一体となり、制御された力強さの中にリズムの躍動感が漲る。そして最終楽章では、主題が展開されてゆくドラマ性を縦横に描き切り、終結部では圧倒的な重量感を伴って締めくくられる。その響きは粗暴さとは無縁で、あくまで統制のとれた造形の中に強靭なエネルギーが注ぎ込まれている。

ETERNAの録音はしばしば「重く暗い」と表現されるが、それは否定的な意味ではない。むしろ音に余計な輝きを与えず、実際のホールの残響を忠実に記録するという哲学が貫かれていた。ドレスデンの聖ルカ教会をはじめとする収録会場の自然な響きが、この盤でも存分に感じられる。オーケストラの奥行き、音の厚み、そして直接的な打撃感――これらが混ざり合い、コンヴィチュニーの重厚な解釈をより強固に支えている。

この盤の物理的なコンディションが良好であるならば、聴き手は1960年当時の東独音楽文化の核心を、そのままの姿で追体験することができる。ジャケットやレーベルといった視覚的な要素もコレクション的価値を高めるが、真の魅力はやはり「針を落とした瞬間の響き」にある。

フランツ・コンヴィチュニーは1962年、リハーサル中に心臓発作により惜しくも61歳で世を去った。もし彼が健在であれば、さらに多くの録音が残されたであろうことは想像に難くない。
だが、彼の遺したETERNAの録音群は、短い生涯を凝縮したかのように力強く、今日に至るまでコレクター垂涎の的となっている。この『英雄』もまた、そうした録音遺産の中核をなす存在であり、単なる「名演」の一枚を超え、戦後東ドイツ文化の象徴とも言うべき盤である。

このレコードを手にすることは、単にベートーヴェンの名曲を楽しむ以上の意味を持つ。コンヴィチュニーの人間像、ゲヴァントハウスの響き、そしてETERNAというレーベルの精神が重なり合うことによって、聴き手はひとつの時代を追体験することになる。堅牢な造形美と純粋なドイツ的精神が刻まれたこの演奏は、今なお燦然と輝きを放ち続けるのである。