ステレオサウンド231号 「追悼・小澤征爾さん」

ステレオサウンド231号 「追悼・小澤征爾さん」

以下の文章は、6/4発売のステレオサウンド231号の当店の広告ページに掲載したものです。

 

オーディファイルのためのLPガイド

追悼 小澤征爾さん

金子 学

  去る26日に世界を代表する指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。(享年88歳)

  私がクラシック音楽やオーディオに興味を持ち始めた頃(1970年代)は、レコードの価格は通常盤で2,500円也。当時中学生だった私にはまだまだ高嶺の花で、クラシック音楽を楽しむ手軽なメディアとしては、FM放送とテレビ番組が主流であった。その中でテレビ番組と言えば、毎週日曜の午前に放映されていた二つの番組がいまでも忘れられない。

一つは今でも続いている「題名のない音楽会」、そして小澤さんと朋友であった山本直純さんが出演した、「オーケストラがやってきた」である。

 「題名の」はちょっと硬派な内容であったが、「オーケストラが」はだれもがクラシック音楽が身近に感じられるようなテーマが多く、特に一般視聴者にオーケストラの指揮をさせる「一分間指揮者コーナー」は、私も応募しようかなと本気に思ったくらいであった。またこの番組では、すでに世界の檜舞台で活躍して名演奏家との親交があった小澤氏の人脈を活用して、ルドルフ・ゼルキンやアイザック・スターンなどの世界的なアーティストと小澤氏の共演が画面で見ることができるのが日曜のお楽しみであった。

 すでにこの頃小澤さんは世界を股にかけて活躍中で、ウィーンフィルやベルリンフィルなどを指揮したコンサートの録音がFM放送で聴けるのもとても楽しみで、多くの管弦楽名曲の魅力を知ることができた。(1975年頃に小澤さんがドレスデンのオーケストラを指揮したブラームスの交響曲第1番を初めて聴いた時の感動は今思い出しても胸が熱くなるほどだ。私はこの演奏で、ブラームスの交響曲の魅力を知ったといってもいいだろう。) 

 

 その後私は進学し上京して、彼のコンサートやオペラを国内外で数多く聴くことが出来、多くの忘れえぬ音楽体験をしてきた。ここで今でも忘れること出来ない経験をいくつか紹介して、彼への追悼の言葉としたい。

 

 一つ目は、第1回「サイトウ・キネン・フェスティヴァル」での最終コンサートでのこと。

 1992年に彼の悲願であった彼の師の名前(斉藤秀雄)を冠したフェスティヴァルが開幕した。幸運にも私はこの一大イヴェントのチケットを入手することが出来て松本に赴いた。

ジェシー・ノーマンらと共演した、ストラヴィンスキーのオペラ「オディプス王」もすごかったが、最終日のオーケストラコンサートでのブラームスの交響曲第1番の熱くそして深い演奏は30年以上たった今でも忘れることが出来ない。また彼にとっても思い入れが非常に大きかったのだろう、そして彼にのしかかった巨大なプレッシャーから開放されたためだろう、カーテンコールに応えた彼の眼には涙が浮かんでいたのがとても印象的だった。(実際彼は、著書のなかでも「毎年のサイトウ・キネンの初日の前日は(プレッシャーで)眠れない」と書いている。)

 小澤さんの晩年は病気との闘いであった。

 特に2010年に大きな手術を受けてからは、なかなか体力が戻らなくなってきて、一つのコンサートの全部を一人では指揮できなくなり(残り半分は指揮者無し、あるいはほか人が指揮)、コンサート直前に健康上の理由でキャンセルすることもあったが、それでも音楽への愛や情熱は、ますますひしひしと聴き手に伝わり、実際の演奏自体も私の耳にはそれまで体験できなかったような深遠な世界を彼の演奏から感じ、大きな感動を得たことが何度もあった。

 

 小澤氏は自分の演奏だけでなく、教育の分野にも大きな足跡を残した。

彼が創設した「小澤征爾音楽塾」や「小澤征爾弦楽アカデミー」の卒業生からは内外の音楽シーンで活躍する多くの優れた演奏家を輩出している。

 私が聴いた最後の小澤さんのコンサートは、2019年の夏松本でのこと。先ほどお話した「弦楽アカデミー」のコンサートの最後に数分間だけ指揮をされた。(本当はプログラムにはなかったが、彼の熱望により急遽のサプライズ出演だったらいい)

曲は最晩年の小澤が特に愛しことあるごとに指揮した、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番の第三楽章。(ベートーヴェンの残したまとまった作品の中では最後のもの。)

 この演奏を聴いているうちに、この2、3年前に彼が「弦楽アカデミー」の講師の方にこの曲の魅力を熱く語っていたのを思い出した。

 詳しいことは忘れたが、小澤さんが、

「はじめのヴィオラの音がいいね、そして次のバイオリンの美しいこと!そしてチェロ・・・・。この曲は”名曲”だね!素晴らしいことだね!」こんな風に、初めてこの曲に接して感動した人のように、本当にうれしそうに、うれしそうに語っていたのが印象的だった。

 

 2008年は彼の師である指揮者カラヤンの生誕100周年で、小澤さんはそれを記念するコンサートでベルリンフィルを指揮した。私が聴いたザルツブルグでのショスタコーヴィッチの交響曲第10番は特に素晴らしく、今でも私の中のベストコンサートの一つになっている。 

  終演後、観客総立ちのカーテンコールで何度も小澤さんは右手で何回も天を指した。

 「天国のカラヤン先生に!」ということだろう。

 いま、小澤さんはカラヤンとそちらで何を語っているのか? 

 以前サインを頂いた、マーラーの「巨人」のLPも私の宝物です。

 ご苦労様でした。

 そして、本当にありがとうございました!

                          ベーレンプラッテ店主