「世界で一番有名なクラシック・コンサート」と呼ばれる、毎年元旦にウィーンの楽友協会大ホールで行われる(実際には同内容のコンサートが、前年の12月30と31日にも同内容の公演はある)、ウィーンゆかりの指揮者とウィーンフィルのヨハン・シュトラウス一家の音楽を中心とした「ニューイヤー・コンサート」は今ではお正月の恒例行事として市民権を得たといっても過言ではないだろう。
今回はそれと、そのライヴLPについてちょっと蘊蓄(うんちく)を。
1. ニューイヤー・コンサート(NYC)の歴史
2. LPで聴けるNYCのお話
3. 店主が聴いたNYC
1. ニューイヤー・コンサート(NYC)の歴史
資料によれば、ウィーンでは年末年始にワルツやポルカを演奏するコンサートはかなり前からあったらしいが、ウィーンフィルが公式にこれらの音楽を特集して演奏したのは、1939年の大晦日にクレメンス・クラウスが開いたコンサートがその始まりらしい。(それ以前にも、クラウスはザルツブルグ音楽祭では「シュトラウスの音楽」をまとめて指揮したことはあった。)
その後、1941年になるとそのコンサートは元旦に行われて、いわゆるNYCとなった。(指揮はやはりクラウス)
その後は、クラウスやヨーゼフ・クリップス交代でNYCを指揮したが、1955年から25年間の間はウィーンフォルのコンサートマスターであったウィリー・ボスコフスキーが指揮台に立つことになる。
1980年、健康上の理由でNYCを降板したボスコフスキーの代わりに指揮台に立ったのは、1982年からウィーン国立歌劇場の監督になるマゼールだ。
彼は、1986年まで連続NYCを指揮することになる。
1987年は「帝王」カラヤンが最初で最後のNYCを指揮する。(彼は1989年に亡くなってしまう。)
その後は、アバド、メータ、マゼール、クライバー、プレートル、ムーティ、小澤征爾などウィーンフィルの定期演奏会の常連である名指揮者が名を連ねることとなる。
今では、このコンサートは世界90か国以上に生中継されていることは、ご存知のことと思う。
さらに詳しい情報は、ウィーンフィルの公式ページをご覧いただきたい。
2. LPで聴けるNYCのお話
残念ながら、創始者であるクラウスとその後継者クリップスのNYCのライヴLPは存在しない。(最近になってクラウスが指揮した1954年のNYCのCDはリリースされたが・・・)
もちろん彼らのスタジオ録音(特にクラウス盤)は現在でも多くのファンの支持を得ているが、これらについては後日にお話ししたい。
さて、NYCの公式なライヴ盤であるがその初のLPは1975年のボスコフスキーのものである。
私個人としてもNYCの実演をこの耳で初めて知ることができたレコードとして実に感慨深い一枚である。
それまでは、クラシックのコンサートというと堅苦しいものと思っていたが、音楽の都のウィーンでこんなに笑い声の絶えない楽しいコンサートがあることを知り、ちょっとしたカルチャーショックを受けた記憶がある。
続くライヴ盤は、同じボスコフスキーの最後の登場となった1979年盤である。
前回の1975年盤がコンサートの抜粋であったのに対し今回は「完全収録」で、またDECCA初のデジタル録音として話題となった。
彼は、ウィーンフィルのコンサートマスターであったので、ヴァイオリンを弾きながらウィーンフィルを指揮(というよりリード)するというシュトラウス式の演奏だ。
さて次は、マゼールの登場である。
彼は数枚のライヴLPを残している。
彼は、もともとヴァイオリン奏者であったので、ボスコフスキー同様「弾き降り」もしている。
その次の年(1988年)から何回かはウィーン国立歌劇場の音楽監督となったアバドが指揮台に立つことになる。
このアバド時代に、クライバーも2回(1989と1993)登場。
ほかにも、メータのLPもある。
その後はCD時代となり、NYC終了後わずか数日でヨーロッパではそのライヴ盤はCDショップの店頭に飾られることになる。
3. 店主が聴いたNYC
かなり昔の話であるが、店主は幸運にも1987年から2003年までの間に10回近くのNYC(とその前日のジルヴェスターコンサート)を現地で体験できた。
指揮者はカラヤン・マゼール・メータ・クライバーそして小澤ほかであった。
その中でも、特に印象深かった回について触れてみたい。
カラヤン(1986年ジルヴェスターと87年のNYC)
マエストロは、1986年の秋から病気のためすべてのコンサートをキャンセル(同年10月のサントリーホールのオープニングコンサートも小澤氏に委ねた)していて、彼の年齢からして、ウィーンの事情通のなかには「カラヤンはNYCを降板か?」との声も聞かれた。
そんな事情もあってか、大晦日楽友協会に帰ってきたカラヤンの歓迎ぶりはものすごく、コンサート開始時に彼が舞台に登場しただけで、ウィーンの聴衆は総立ちで「ブラボー」の歓声や拍手はものすごく(中には涙ぐんでいるご婦人も結構いた)、なかなか演奏が始められずにうれしいながらも困った彼の表情は今も忘れられない。
「天体の音楽」や「青きドナウ」での幻想的でこれ以上考えられない程美しいウィーンフィルの魅惑的なワルツは、いまでも時々思い出すほどだ。
クライバー(1991年のジルヴェスターと92年のNYC)
これと対照的で、なおかつ感動的だったのはクライバーが指揮した1992年。
実はこの年は、バーンスタインが登場予定だったらしいが、彼の死去により、クライバーの再登場(1989が一回目)となった。
ウィーンでも登場しない、しかも予定されても、キャンセルが非常に多いクライバーだけあって、この年の客席は沸きに沸いた。
その日のウィーンはとても寒かったが、会場内の熱気はものすごかった。
プログラム最後の「雷鳴と電光」の上品でありながら、とんでもなく刺激的なポルカの凄かったこと!
ほかにも、小澤・アーノンクールなど印象的な回は多いがこの話は、また後にでも。