カラヤン死の直前の指揮姿(理想のオペラ上演を目指して)

カラヤン死の直前の指揮姿(理想のオペラ上演を目指して)

カラヤンの最後のオペラ上演での指揮姿の動画が話題になっちいる。
もちろん、彼は20世紀を代表する指揮者であるが、欧米ではオペラ指揮者としての評価はいまでももの凄い!
彼の業績をレコード録音の観点から見てみよう。

カラヤン最後の指揮姿

先日、ネット動画をあれこれ見ていたら、ちょっとびっくりするものを見つけた。

こちらをどうぞ

カラヤンのトスカ(1989・ザルツブルグ)

カラヤンが、生涯最後に「トスカ」を指揮した姿である。(全曲)
「トスカ」といっても、舞台の画像はなく、全曲にわたってカラヤンの指揮姿のみとなっている。(白黒)
舞台の裏方の作業用のためのカラヤンの姿を追ったカメラの映像が録画されたのだと思われる。
81を迎えたカラヤンの最後の指揮姿に感動するファンも多いのいではないか。(私もその一人)
この感動的な動画が収録されたのは、ザルツブルグでの「復活祭音楽祭」。(1989年3月)
この後、彼は4月にウィーンでブルックナーを指揮し、7月16日にはこの世を去っている。

 

カラヤンのオペラ録音について
ここでは、彼独特のオペラの録音についてちょっとお話したい

1 復活祭音楽祭
2 復活祭音楽祭のプログラム
3 画期的なオペラ録音&上演システム
4 復活祭から生まれた名盤たち

1 復活祭音楽祭
ウィーン国立歌劇場を「追われるように」去ったカラヤンは、自分の理想のオペラ上演を目指してあれこれと試行錯誤をすることになる。
まずは開催場所、これは、彼の故郷であり、音楽祭の街として有名なザルツブルグに落ち着くことになる。
次は開催時期。
夏の音楽祭のころは、ほかの都市でも有名なオペラ歌手は引っ張りるだこになるためほかの時期を検討して、ヨーロッパでは長期休暇となる復活祭の前後に、音楽祭を開催することに決めた。
オーケストラは、オペラに長けたウィーンフィルを使いたかったらしいが、この時期はウィーンでも「パルジファル」を上演しなくてはならず、最終的にはベルリンフィルに落ち着いた。(しかしながら、オペラの経験がほんどないベルリンフィルははじめのうちは、かなりてこずったらしい。ベルリンフィルでも・・・)

2 復活祭音楽祭のプログラム
復活祭音楽祭のプログラム構成は、決まったパターンある。
4日間の上演を1チクルスとして2チクルス上演され、第二チクルスの最終日が「復活祭の月曜日」となる。
その構成は、
オペラ
オーケストラ・コンサート(2回)
合唱コンサート(第九・レクイエム・マタイ受難曲など合唱を伴う大曲)

3 画期的なオペラ録音&上演システム
さて、その中でのオペラ上演であるが、ここにカラヤンの作った画期的なシステムが組み込まれることになる。
そのシステムとは、レコード録音とコンサートを巧みに導入することである。
まずは、音楽祭(基本的には)前年のベルリンフィルのベルリンでのコンサート復活祭で上演予定のオペラのコンサート形式での上演を行う。
そこで、みっちりとリハーサルを行ったうえで、レコードの録音を行うのである。
そして、そのレコードは、翌年音楽祭にやってきた観客には無償で配られる。
それも、彼の直筆サイン入りで!

こうすれば、ザルツブルグでのリハーサル時間が短縮でき、コンサートでの録音
とベルリンでのコンサートと非常に効率的に仕事ができることになる。
いかにも彼らしいシステムである。

4 復活祭から生まれた名盤たち
さて、ここでシステムが生んだ名盤をちょっとかいつまんで見てみよう。

ワーグナー/「ワルキューレ」(1967)


ワーグナー/「ラインの黄金」(1968)

 ワーグナー/「ジークフリート」(1969)

ワーグナー/「神々の黄昏」(1970)

ワーグナー/「マイスタージンガー」(1974)


ワーグナー/「ローエングリン」(1976)



モーツァルト/「ドン・ジョヴァンニ」(1987)


オペラの名盤はまだまだある。(「フィデリオ」「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」「さまよえるオランダ人」「カルメン」などなど)
これこそ、彼のライフワーク!
と言いたい。

残念ながら、彼は何回も来日し、コンサートを指揮したがオペラ上演はなかった。
もし、上演されたのであれば、彼の評価はさらに高くなったと考えるのは、私ひとりではないと思う。