今日は、私も大好きな「ギレリスのベートーヴェンのソナタ録音」について書いてみました。
エミール・ギレリスが1972年からドイツ・グラモフォン(DGG)に残したベートーヴェンのピアノソナタ録音は、彼の芸術を代表するばかりでなく、20世紀後半のベートーヴェン解釈における一つの規範ともいえる存在である。鋼のように引き締まったタッチと雄大なスケールを兼ね備えた彼のベートーヴェンは、激しさと冷静な秩序が見事に融合し、歴史的名盤となった。
彼はこの全集録音において、極端に速いテンポや誇張された感情表現を避け、作品の骨格を明晰に浮かび上がらせることに徹している。第8番《悲愴》では冒頭の重和音を過度に強調せず、再現部で力を増していく構成感を示し、第2楽章では控えめなペダルと柔らかな歌心を聴かせる。
第14番《月光》では、第1楽章の静謐な歩みから、第2楽章でのやや武骨な表情を経て、終楽章で燃え上がる激情へと至る流れを、見事な集中力で結び上げている。そして第23番《熱情》では、ライヴ録音の荒々しさとは異なり、スタジオ録音ならではの整然とした力強さを前面に押し出し、作品の威厳を示す。
これらの演奏はちょっと聴くと「模範的」あるいは「機械的」とも評されるが、決して冷たさに陥ることはない。硬質のタッチの奥に潜む情緒、かっと燃え上がる寸前の抑制された情熱は、彼の芸術の真骨頂といえるのではないか?。
ライヴ録音ではさらに即興性が強調され、火花の散るような緊張感が加わる彼の演奏が、DGGのスタジオ録音では、スタジオ録音でのみ成しえる長く聴き返すに耐える「均衡美」を備えている。
しかしこの壮大なプロジェクトは、1985年のギレリスの急逝によって未完に終わった。ソナタのほとんどは録音されたものの、最後の第32番ハ短調(Op.111)は残されなかったのである。全集としての完成が叶わなかったことはクラシック史における大きな喪失であり、同時に「もし彼がこの究極のソナタを録音していたら」という想像を後世に残すこととなった。
それでも、ギレリスの残した録音は今なお比類のない価値を持つ。
作品に忠実でありながら、随所に独自の美学を刻んだ彼の演奏は、過去の偉大な伝統と未来の解釈への橋渡しを成したといえるだろう。未完であることすら、このシリーズを特別な存在にしているのだ。ギレリスのベートーヴェンは、単なる「全集未遂」ではなく、鋼の響きと燃える精神が織りなす永遠の記録としてこれからも聴き継がれていくに違いない。
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